「嫌われるのが怖い」が文章を殺す
マッサージと番組制作は似ている
中途半端な熱量で文章を書いている自分が嫌になった。
どこか小綺麗というか、当たり障りないというか。
で、発信も滞った。
会社を辞めてもなお、
組織を抜けてもなお、
自分は人に嫌われることが怖いのだ。
話は変わるが自分はマッサージが好きだ。
独身のテレビ局員時代の休日の過ごし方は、
スーパー銭湯とマッサージだった。
頭皮、足つぼ、腰、肩、下半身。
全部好き。
全部押してほしい。
男性でも、
女性でも、
どっちでもいいから、
とにかく強く押してほしい。
むかつくくらい押してほしい。
仕事以外にやりたいことなどなかった。
取材のときは数時間立ちっぱなしだし、
暇さえあればパソコンと向き合ってるし、
編集は何時間も座りっぱなしだし、
食生活は乱れ気味。
テレビ局はまじで自分の体が淀んでくる。
そしてなりたくない体型の人間がゴロゴロいた。
でも運動する気力もない。
だから番組制作の過程においてマッサージを
はじめとした身体のメンテナンスは
個人的には必須だった。
ただ、マッサージにおいて
どうしても許せないことが一つだけあった。
それは「言い出せない自分」。
どういうことか?
俺は予約せずふらっと行くので基本的に
「初見の人」に施術をオーダーする。
例えば先日でいえば、「腰中心」。
立ちっぱなしな時やPC仕事が多いこと。
鈍痛が続くこと。
背骨の両端を強く押すと効いてると感じること。
痛む箇所を押しながら説明した後、
こう伝える。
「腰がしんどいです。ぶっちゃけ、
30分間ここだけ押してもらえたらいいレベルです」
うざい客と思われてもいいやと、
具体的に伝える。
限られた時間は40分しかないからだ。
すると開始10分で気づいたら
肩甲骨とか太ももとか押されだす。
「なぜ???」
一箇所重点的にと希望したけど
気づいたら満遍なく施術されている。
そういうマニュアルなのか。
付近からほぐすのがセオリーなのはわかっている。
ただ、
ただ、
「治してほしいんじゃなくて強く押して欲しいだけなんだ」
すぐ治るなんて希望は抱いちゃいない。
束の間の癒しだけ求めて、数千円払ってるに過ぎないのだ。
ここで言いたいのは整体師さんへの
文句なんかじゃない。
「言おうかな?でもそれが正しい痛みの和らげ方
かもしれない。プロに任せよう」
と考えて結局言い出せぬまま、
施術を終わらせた自分自身である。
言いたいことがあるのに言わない。
最初にイメージを伝えたのだから
大丈夫だという、思い込み。
結果納得いかないまま、
サービスの対価を払ったあと悶々とする。
そう、お前が悪いのである。
この気持ちは一体なんなんだ?
このやるせなさはなんなんだ?
なぜこんなことで腹を立てるか?
それは、動画編集に似ているからだ。
駆け出しの頃、
先輩ディレクターや先輩カメラマン、
ベテラン編集マンにVTRの構成とか、
字幕の表現とかを変えられるときに
違うと言い出せない感覚にそっくりだ。
ダメ出しについて思うところはある、
ぶっちゃけ違うとすら思っている
最初に自分のイメージは伝えた、
だけどその通りになっていない
納得いってないけど自分が正解か自信がない
このままやり取りするコストと締め切りを
天秤にかけた時に、「折れとくか」となる。
これこそが、言いたいことを言い出せぬまま、
凝ってもない別の箇所を押されている時の
私の感情にそっくりだ。
最後まで自分の考えを信じられない。
意思を貫くよりも調和を選ぶ。
作り手とサラリーマンの狭間で、
自らの在り方を試されるような経験。
頼むから、
この時の自分を思い出させないでくれ。
全ての段階をひとりで担えない仕組み上、
調和を乱すことはできない。
だけど成果物に責任を負うディレクターが
納得せず世に出すことほど視聴者に失礼なことはない。
尺が長ければ長いほど、
罪悪感も増していく。
昔はバットバチにディレクターやカメラマン、
編集マンが深夜怒鳴り合いながら番組を作っていた。
それぞれの立場で、
プロフェッショナルをぶつけあう。
今の時代怒号や罵声は無理でも、
ものづくりにおいては、
バッチバチが健全だと思う。
妥協は悪。作り手じゃない。
大事なのは、
「言い負かされる事を恐れない」ことです。
番組は良くなるなら、
正しく効果的に伝わるなら、
別に自分が言い負かされたっていい。
最初いってたことが間違ったっていい。
相手の意見が正しかったと素直に受け入れる
ことも間違いなく素質である。
ケンカしちゃうとこれができない。
結局、良質なコンテンツの誕生を蝕んでいるのは
人間自身の見栄やプライドなのだ。
AIに文章書かせるのも、嫌いじゃない。
これからもやっていく。
だけどそれはどこまでいっても「心の叫び」にはならない。
腰の辺りを満遍なく揉まれているゆるい施術に過ぎない。
編集でも、ネットでも、リアル社会でも、
思ったことを本音で伝えていこう。
叫びを伝えていこう。
今のSubstackはそのくらい許容してくれる。


