「頑張った先に幸せがある」は、幻想
「悪口、愚痴、人の批判、文句」を言わない人
きのうは僕が尊敬する方の命日でした。
僕がテレビ業界に入る時から、
亡くなるまでずっとお世話になった、
ある大先輩の話です。
お線香を上げに、ご遺族のお宅へ行ってきました。
会社に入る前から相談に乗ってくれて、
温かみがあって、頭が良くて。
「悪口、愚痴、人の批判、不平不満」
本当に一切言わない、奇跡の人でした。
それがどれだけすごいことか。
僕には真似できなかった。
ご遺族の方が玄関で迎えてくださって、
こうおっしゃった。
「こんなにも寂しいとは、思いませんでした」
その表情が、忘れられない。
働いて、働いて、
老後は夫婦であそこに行こう、ここに住もう。
そんな会話がきっとあったはず。
仕事をやり切って、
残りの余生を自由に生きる。
それが全部、白紙になった。
で、ぼくは思ったわけです。
苦しくても耐えて、
納得しない今を生きて、
その先に希望の未来が待っている。
そんなことはないのかもな、と。
その未来は誰も保証しない
今、家族を犠牲にして仕事を頑張って、
50になったら家族で旅行に行こうとか、
60になったらゆっくり夫婦で温泉、とか。
誰が保証してくれるのか?
その5年10年を待たせることによって、
親の介護はじまるし、
歩けなくなるかもしれないし、
子どもの素直な時期は終わっていくし、
「当たり前」じゃ、なくなるものが
ごまんとある。
ぼくは今36歳で、
子どもが3人いて、
親はまだ生きている、という状況です。
上の息子で言えば、
3歳になったら一緒に出かけよう。
キャッチボールできるようになったら本気で遊ぼう。
小学校上がったら、ちゃんと向き合おう。
そんなふうに思ってました。
だから今は仕事だけやって稼げればいい、と。
でもそんな都合がいい未来は、きっと来ない。
今この瞬間、向き合ってないと、まず後悔します。
そして後悔して泣いたところで、
神様も助けてくれない。
AIもそんな答えは出してこない。
親も子供も、明日死んだら、ぼくはきっと後悔する。
何かしてあげられたか、と。
どんな人生だったんだろう、と。
何を哲学として生きてきたんだろう、と。
引き継いでいない。
受け取ってもいない。
そもそもそういう会話、していない。
親と腹割って話すなんて、
昔は気恥ずかしくて避けていたし、
ちょっと話し始めると、すぐケンカになる。
二言目に説教飛んでくるんで。
コミュニケーション、ものすごく難しい。
でも、それでも。
死んだときに後悔するんだったら、
今のうちにやっとこう。
遺影の大先輩から、
そう言われた気がしました。
後悔を減らす仕事ってあるのか?
親孝行が正義、とは
ぼくは思いません。
子ども第一主義とも思いません。
縁を切っている人もいるでしょうし、
関係は人それぞれだと思うので。
ただ、ね。
後悔する人を一人でも減らせないかなぁと、思ったわけです。
両親が亡くなって、
子どもが成長していく。
家庭において、
取り返しのつかない時間の使い方をしてしまったな、と。
かけがえのないものを失ってしまったな、と。
そういう後悔を、ひとりでも減らせる方法ないかなぁと。
なかなか表現できないんですけど。
亡くなった先輩ほど、
僕は徳を積んでない。
だから頑張った先に、何かがある。
これ、僕にとっては本当に幻想です。
人生の最後にもらえるご褒美なんて、たぶんない。
だからここから先、
今この瞬間を頑張りつつ、
見失いがちな日常の幸せを
拾い上げていこうよ。
というのが僕の一旦の答えです。
そして、それらを解決できるような仕事を
生み出して、形にしていくのが理想です。
きっとできると思ってます。
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