看板を失った1ヶ月半で見えた、発信者の「選ばれ方」
最近は朝、海辺を歩いている。
釣り人が、20人くらい、
もっとかもしれない。
週末の早朝、当たり前のように人がいる。
僕はもう何年も「朝起きられない人間」だったから、
こういう世界があるのかと、嬉しくなった。
会社を辞めて一ヶ月半。
朝、こうやって散歩しながら考えていることがあって、
今日はそれを書きます。
発信について。
会社を辞めてから、
いや、辞めると決めた瞬間から発信を本気で始めた。
noteは60本を超えた。
自分の考えが届く相手はまだ少ないけれど、
それでも続けている。
そして本名でやっている。
正直に言うと、元々こういうのは大嫌いだった。
名前を出して発信するとか、
自分の意見を口に出すとか、ものすごく嫌いだった。
「言わなくてもわかる人にわかればいい」みたいな、
すかした人間だった。
会議で何かを発表するのももちろん嫌い。
そんな人間がテレビ局に入った意味が
自分でもよくわからない。
ただ、テレビ局での「放送」と、
個人での「発信」は、まったく違う。
テレビ局は、誰かに何かを伝える場所ではあった。
でも、不特定多数に向かって自分個人の意見を発信する場所ではない。
あくまで、
「一般的に正しい放送をする」
「倫理観のある放送をする」
それがマインドの根幹。
個人が何を考えて、
どう判断して、
どう動いて、
結果どうなったか。
成功も失敗も含めてのプロセスを
赤裸々に出す。
そういうことは、会社では基本的に必要ない。
でも、これからの時代、
それで本当にいいのか、途中から思い始めた。
テレビは見られなくなっている。
局にいてもう何百回も聞いた。
視聴率向上の打開策を模索し、試行錯誤し、そして結果に絶望し…
これを繰り返しながら、日々の業務と向き合った。
理由は色々あるんだろうけど、
ひとつは
「批判されないこと」
「当たり障りのないこと」を選択し続けてきた結果だと思う。
作り手の心理的安全性は保たれる。
でも、映像コンテンツが多様化する中、長期的は選ばれなくなっていく。
どうすれば見てもらえるか、
誰に選ばれるのか。
その答えを、たぶん誰も見つけられていない。
視聴率を獲得している局でさえも、
おそらく確信めいた答えはない。
「誰からも見られない」
これは独立して1ヶ月半経った僕自身に、
まっすぐ跳ね返ってくる。
会社の看板はもうない。
その中で言えることは一つ。
「いいものを作れば見てもらえる」
これは嘘だ。絶対に嘘。
いいものを作っただけでは、誰の目にも届かない。
まず自分のことを知ってもらって、
共感してもらって、
少し応援してもらって、
そこでようやく作ったものを手に取ってもらえる。
その段階を全部すっ飛ばして、
「いいものさえ作れば」と思っていた頃の自分を、今ちょっと殴りたい。
つまり、見てほしかったら、自分も見せろ、ということなのかもしれない。
テレビ局時代僕は、これをやってこなかった。
いややりたくなかった。
自分の名前、やり方、思考、判断、失敗を見られたくない。
でももうそんなこと言ってる場合じゃない。
相手に自分を知ってもらって、
自分で選んでもらわないと、仕事にならない。
きっと何を売るにしても、その構造から逃げられない。
仮に、傷ついたとしても。
それでも、リスクを取って腹を見せること以外に、
信用してもらう方法はないのだと腹をくくった。
誰もが納得する実力や実績はないのだから。
あなたはどうですか?
何かを知ってほしかったり、
選んでほしかったり、
お金を払ってもらいたかったりするなら、
たぶん、僕と同じかと。
不思議なことに、30代も後半になると、
ある程度溜まった知見や思考を、
発信したくなる時がある。
あんなに嫌だったのに。
そしておんなじように思っている同世代が
複数人いることも知った。
なので無理ない範囲で、
自分に嘘つかず、「心理的安全性」を脅かされることなく
発信していくことができる、世界があればいいなと思ってます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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